「なんもない」町を誇れる町に~若きブレーン・柄澤一樹

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1か月に一人ずつジバスクラム恵那のスタッフを紹介しています。
今回は柄澤一樹。立ち上げ当初から関わるジバスクラム恵那のブレーンです。
現在彼が携わり、中心となって進めているプロジェクトがたくさんあります。彼がどんな想いで事業を牽引しているのか、皆様に知っていただけたら嬉しいです。

本人は「腕を組むのはイメージじゃないなあ」と言っていたけど、筆者はよく似合っていると思う

ちなみにこの記事を書くにあたってのインタビュー所要時間は、なんと45分!前回の戸取のインタビューが2時間超えだったのを憂いていたら、「なるべく書きやすいようにまとめて話します」と、必要な要素だけを次々と喋ってくれた柄澤。出来る男です。(決して戸取と比べているわけではありません)

さて柄澤一樹、現在満31歳。恵那に生まれ恵那で育ち、学生時代を京都で過ごしました。大学で触れた「地域コミュニティー論」で、地元も意外と楽しいのでは?と「地域と関わる」ことに目を向けつつも、卒業後は東京の大手旅行代理店に就職。3年半にわたり公務法人営業部で貴重な経験を積みました。
実は大学には生物学専攻で入学したものの、途中でフランス語専攻へと鮮やかに転身した柄澤、語学が堪能です。国内外の担当者と綿密に打ち合わせをし、様々なプランを立てて顧客に提案する。この最前線でビジネスを作るという経験は、彼のその後の人生に大きな影響を与えるものでした。

得難い経験を積み、満を持して帰郷。その後恵那川上屋に3年間勤めました。
栗の栽培、木の剪定などの農業分野の仕事から、本社での総務、マーケティング、企画、通販事業などに携わり、徐々に地元の強みも足りないものも見えてきた頃、彼の周りには少しずつ志を同じくする仲間が集い始めていました。恵那くらしビジネスサポートセンターなどで出会った個性が輝く面々と共に「恵那峡レイクサイドマルシェ」を開催したのは2019年3月。その頃柄澤は個人事業主として独立し、恵那市役所の観光交流課などと関わりながら、恵那市の行く末に思いを馳せる立場になっていました。

2019年3月31日に開催された「恵那峡レイクサイドマルシェ」
地元の人に恵那峡に目を向けてもらう第一歩だった

その後恵那市に戸取が着任し、恵那にDMOを作ろう!という動きが大きくなる中で、柄澤の力が求められたのは必然のことでした。
ジバスクラム恵那構想時から関わり、現在は個人事業主としてジバスクラム恵那と協働、様々な事業を手掛けています。

柄澤のベースにあるものは「地元の人が自分の町を『いいよね』と思えること」。
かつて彼が仕事で世界中を回っていた時、魅力的だと思える土地の人は自分の居場所に対してポジティブであると感じたそうですが、恵那はそうではない。この辺りの人は自分の町のことを「なんもない」と表現することがとても多いのです。
そんな恵那を変えたい。せめて「いいんやない?」ぐらいにし、結果的に恵那を魅力のある町にしたい。それが柄澤の動きの根本であり、これからの目標でもあります。

例えば彼が中心となり進めているAeru(アエル)というサイトも、ただ地域にあるものを外のファンの皆様にご購入いただくだけではなく、外部の方に認めていただくことで地元の方々の自己肯定感を上げ、もっと自信を持ってもらいたいという想いがあります。
地域に特化した予約誘客販売サイト「Aeru(アエル)」は8月1日公開予定。準備が大詰めの現在は、関わってくださる事業者さんを増やすと同時に、サイトデザインの最終調整にも追われています。都会的なスタイリッシュさよりも、どこか親しみやすい、温かいイメージを出そうと頑張っています。

インタビュー開始直前、ちょうどAeruのデザイン会議の真っ最中だった柄澤

また同じくジバスクラム恵那に関わる原健太と共同代表を務める「株式会社ハラカラ」では、市内の既存の施設にグランピングという切り口の商品の提案をし、各施設の価値を高める方法のコンサルティングなどを行っています。
地元の食材を使ってワンランク上の体験を提供できること、地元食材にはそんなパワーがあることをまずは事業者の皆様に、そして顧客の皆様に知っていただくため日々奔走しています。
原と柄澤のコンビネーションは絶妙。真逆の二人がお互いを補い合ってゼロを100にする様子は・・また10月の原のインタビューの際に。

Aeruが軌道に乗りグランピングの提案が進んだ頃、年度末にはまた一つ大きなプロジェクトが動き出すはず・・と柄澤。それに向けて今は良い流れを作りたいとのことでした。
故郷恵那を、みんなが誇れる町に。これからも我らの若きブレーンは、想いをぶれさせることなく着実に歩みを進めます!

※次回は田村猛が登場します。お楽しみに!