動き続ける恵那のマルチ〜ジバスクラムの報道官 栗田有美

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毎月一人ずつジバスクラム恵那のスタッフをご紹介しています。8人目の今回は栗田有美。
関西出身の栗田。すでに恵那においては、歴史、観光、音楽、語りなどの分野でちらほら見かけられ、お馴染みの方も多いのではないでしょうか。すっかり恵那の顔の一人として定着してきた感のある栗田ですが、実はジバスクラム恵那の情報発信担当、通称ライターKでもあります。今回は、その活動の背景やそこにかける思いなどについて聞いてみました。

兵庫県芦屋市にて、大阪音楽大学ピアノ科カップルの両親のもとに生まれる。2歳年下の弟が一人(東京でギタリストをやっています)。

■芦屋で芽吹き、古都奈良へ

小学校から大学院の計18年間を女子校で過ごされたとのこと。(共学は幼稚園の2年間のみ)。
ピアニストだった父に幼い頃からピアノの英才教育を受け、小学校の頃はコンクールに出たり演奏会に出たりなどしたこともありましたが、小学校卒業式直後の3月末、12歳のころに父が癌で亡くなり、しばらく母に習ったものの中2ぐらいでピアノをやめ、それまで禁止されていた球技(突き指するとピアノが弾けない)をしたり、テレビドラマを観たり、はやりの音楽を聴いたりと、ごく普通の中学高校生活を送ることになりました。

大学は日本古代史専攻、生活費のためにもアルバイトに没頭するばかりの毎日でしたが、奈良という土地での古代史の勉強は素直に楽しかったし、奈良がもっと大好きになったそう。
大学入学が決まったころからアルバイトに勤しみ、中国料理店(神戸)、観光ホテルのレストラン(奈良)など様々な仕事を経験しましたが、最も楽しかったのは奈良交通定期観光バスのバスガイド。当時は喋るのが好き、英語が得意、日本史が好き、奈良が好きのオンパレード。学生時代のアルバイトではあったが天職だと思い、思いっきり働きました。大学の教授には「パートタイムスチューデント」と呼ばれていたそう。かろうじて大学院を修了。単位はギリギリでした。

■転機を乗り越え、そして恵那へ

奈良に居座り、大学院修了後観光関連の会社でお土産屋の開発やホテル業の総務などの業務を担当されました。アルバイトからそのまま社員となり5年ほどお世話になりましたが、ここで上司から学んだポジティブ・シンキングや仕事の進め方は今の栗田の土台だということ。
26歳の時もっと大きな場所で仕事をしてみたいと転職を決意。奈良の会社を退職し何も決まらぬまま東京へ。スタッフサービスに登録し、紹介予定派遣制度を使いリゾートトラスト株式会社に入社。人事採用担当として正社員登用前提で契約(3か月後正社員となる)。今思うと一番つらい時期だったかもと。
規模の大きい採用の仕事を通し、会社の顔として学生の前で話すこと、立ち居振る舞いを考えることなどなど、大いに勉強をしました。大きな組織での仕事というのも刺激的でした。ここで営業担当であった旦那さんと出会ったとのこと。
当時旦那さんは新卒社員、栗田は3歳年上ながらも8月からの中途入社社員で、お互いに敬語を使うことなく話しました。
2006年にご結婚。2007年2月に長男誕生。旦那さんはそのまま仕事をしていましたが、恵那の実家の父の体調が悪いとのことで急遽恵那に帰ることになり、揃って会社を退職しました。2008年5月、30歳直前のことでした。

■慣れない土地で子育て

付き合った当初から「いずれ実家である恵那に帰って家業を継ぐ」と聞いていたので、ためらいなくついてきたとのこと。
説明するときは「旦那のきらきらの瞳を信じてついてきた」と言うようにしているそう。
恵那に来てしばらくして長女出産。 旦那さんは家業である「ますき」で修業中だったため 最初数年はひたすらワンオペ子育てに追われたとのこと。
子育てに追われる中で一番辛かったのは恵那の冬の寒さ。瀬戸内育ちには本気できつかった。栗田の知っている寒さは11月で終わり、12月から2月は未知の世界でした。

■手元に戻ってきた音楽、そしていよいよ活動期に

下の子が幼稚園に入った2012年5月からますきでランチタイムにお店に立つようになりました。
2010年に旦那さんの父が急逝し、旦那さんが後を継いだタイミングで栗田もいよいよ現場へ。そこから2018年3月にいったんランチ営業を終了するまで、長期休暇以外は頑張りました。
明るい従業員の方々と、優しい女将と、美味しい賄いと月替わりランチなどの企画の仕事と、盛りだくさんで楽しい毎日でした。
上の子が年中の時、お母さんたちでやる劇で歌う曲の伴奏を頼まれ、20年ぶりにピアノを触りました。追加でナレーターもやって!と言われ、快諾。今思えば現在の活動に繋がる何かがこの劇にありました。

少しずつ音楽が栗田の手元に戻り、2013年よりロビーコンサートに出たり、音楽劇の伴奏をしたり、合唱団に入団したり、ピアノのレッスンに通いだしたりしました。 その後は、次々とバラエティに富んだ活動が舞い込みます。

歌声喫茶講師としての活動(当時は単発のサロンのお手伝いなど)、 2019年3月に行われた「再びの恵那第九」事務局長としての仕事 、 ピアノ演奏・伴奏などの仕事 、 中山道姫宿の会 、 書写のお稽古 、 葬儀司会、イベント司会 、 恵那市女性消防隊 、 しぶろく大井宿 、 恵那市観光協会バスガイド 、 社会福祉協議会「いきいき教室」講師など 。

そこに、2020年の年初に設立を準備していた一般社団法人ジバスクラム恵那から栗田に声がかかります。情報発信担当として携わってくれないかと。ジバスクラム恵那は、地域の魅力ある事業者や商品のPR・販売支援をすることを目的としており、その特徴的な動きをキャッチ&クローズアップし内外に広報するのにこのバイタリティが最適と、栗田にかけてみたのでした。

女性消防隊ではしゃべりを生かして司会も
FM岐阜のパーソナリティ久世さんとの競演
ガイドとしても恵那の魅力をPR

栗田の現在の活動には三本の柱?があります。「歴史・観光系」「音楽系」「言葉を扱う系」。気になることやワクワクを大事にしていた、誘われるがままにやっていたらそうなっていた、とのこと。

何を目指しているの?と人に聞かれますが、それは歩んでいたらきっと見えてくる、と思ってやっている。これまでもそうやって繋がってきたから。

座右の銘は「人生に無駄なことなんてない」「置かれた場所で咲きなさい」。

どんなによろしくない経験も、全て後の人生の何かに繋がっているし、ここ数年はどの経験も無駄になっていないのを実感するばかりとのこと。
あと、起こることは全て自分が選んだこと。人のせいにしない。今いる場所が自分の場所。こう言い切る。
「明日死んでも後悔しない毎日を」というのもいつも心がけている。

毎日を悔いなく、やれることは全部やって終わるように頑張っている。人には「止まると死ぬでしょ」とよく言われるが、結構昼寝もしている。趣味はカーブスと岩盤浴。ドのつくB型。

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ジバスクラム恵那の情報発信を引き受けていただいた時、恵那の新しい動きや流れをキャッチできる、ということに興味を示していただいた。積極的に情報を取りに行く姿にスタッフ一同感謝している。これからも歩みをとめない栗田をよろしくお願いします。(編集;ライターT)

~おまけ動画~