菊ごぼうの現実を知る

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ひとくちに「伝統野菜を守らなければ!」と言っても、そのためにはいくつもの越えなければならないハードルがあるのが現実。
飛騨・美濃伝統野菜のひとつ「菊ごぼう」は、まさに今多くのハードルに行く手を阻まれ、絶滅の危機に瀕しています。
一つ一つの課題が具体的にどんなものなのかを知り、乗り越え方のヒントを探したい。そんな思いで、恵那市役所農政課の皆さんが先日、Koike lab.で菊ごぼうの収穫と調整を体験されました。
冷たい風が時折強く吹き付ける、昼間でも3度までしか気温が上がらないよく晴れた日でした。

菊ごぼうは岐阜県恵那市と中津川市などで作られている山菜。「ごぼう」という名前がついていますがキク科アザミ属のモリアザミの根がその正体であり、正確にはごぼうではありません。
切り口が菊の花に似ていることから「菊ごぼう」と呼ばれるようになったと言われていて、この地域の良質の赤土土壌で育つことで良い香りをまとい、独特のシャキシャキとした食感と風味、柔らかい歯ごたえなどの特徴を持っています。

採れたて菊ごぼう

この地域の菊ごぼうの歴史は江戸時代末期にさかのぼり、1862(文久2)年に恵那郡富田村(現在の恵那市岩村町富田)・三ツ森山に自生していたのを発見したことが始まりと言われています。明治時代になって本格的に栽培されるようになり、かつては中津川の地に菊ごぼう生産組合ができるほどだったそうですが、現在栽培しているのはほんの数軒の農家だけです。
ここまで減少してしまった原因は、菊ごぼうを栽培するのに伴う大変な苦労。
この日農政課の面々が目の当たりにした「苦労」を少しご紹介しましょう。

①畝が低く、身体に負担のかかる作業が多い
菊ごぼうは背の低い作物であり、すべての作業で腰を曲げ、しゃがみこんだ姿勢を取らなければなりません。
小さな小さな種を蒔く時も、芽が出るより先に顔を出す雑草を抜く時も、もちろん収穫の時も。腰や膝に負荷がかかる作業ばかりで、高齢化が進む中で担い手は減る一方だそうです。
体験で行われた収穫は一畝分だけでしたが、寒い中腰を曲げて力のいる作業をするのは大変そうでした。

どんな作業もこの体勢

②調整作業が細かく果てしない
「調整」とは、収穫した作物を「お店で売っている状態にする」こと。
掘ったばかりの菊ごぼうにまず施さねばならない調整は根を切ること。細くて小さな菊ごぼうから出ている細かい根を、全て手作業で、はさみで一本一本切り落とします。
この日収穫したのは2キロないぐらい。今の季節は収穫時期としては遅く、細かい根もかなり少なくなってきてはいますが、それでも6人がかりで1時間かかる作業でした。これをいつもは一人で黙々と1キロに1時間ほどかけて行うそう。

③連作ができない
連作とは毎年同じ場所で同じ作物を栽培すること。菊ごぼうは連作障害が大変出やすい作物で、一度育てると土壌中の成分のバランスの崩壊やセンチュウ密度の上昇などが起こり、7年同じ場所で栽培することができません。
さらに言えば、6月に種まきしてから収穫まで半年以上。長い期間畑を占拠し、7年同じ場所に植えられないとなると、毎年菊ごぼうを育て続けることがどんなに困難なことであるか想像していただけると思います。

小さな小さな菊ごぼうの種
江戸時代末期に岩村で見つかった在来種に極めて近い品種だそう

④市場価格が安い
これだけ手間をかけ、時間をかけてやっと育てた菊ごぼう。
Koike lab.では今年は1反の半分の5畝植えて、500㎏の収穫を見込んでいました。うち「秀品」と呼ばれるものが半分ぐらいで1㎏900円ぐらい、それ以外の規格外や股割れしてしまったものなどは1㎏290円という値段を付けられることもあるそうです。半年分の人件費や資材費などが、到底まかなえるわけもありません。

「伝統野菜」とはなんなのか、そこまで犠牲を払って残さねばならないものなのか、現代において本当に必要なものなのか、議論はそこから行われるべきなのかもしれません。
ただ、地域おこしという観点や新たな価値観の元で、このような伝統野菜のニーズが高まっているのも事実です。
一度失われたらもう取り戻せない伝統野菜。今回目の当たりにした現実をしっかりと受け止め、農家にとって、そして失えない宝ものにとってより良い状況が生み出されることを願います。

収穫の喜びと寒さと慣れない作業とで複雑な表情の面々