恵那の視点で見る『恵那の幸せ』を追求する~世界を知る男・戸取健一郎

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突然ですがジバスクラム恵那発足2年目にして、満を持して月に1名ずつのスタッフ紹介を始めます。
どんなスタッフがどんな経験を活かし、どのような想いで様々な事業に取り組んでいるのかを少しでも多くの方にお伝えすることで、今後のジバスクラム恵那の活動を少しでも身近に感じていただき、さらなるご理解・ご支援を賜れたら幸いに存じます。
第一回の今回は、我らの実務のボス・業務執行理事の戸取健一郎を紹介いたします。

いつも通りの我らのボス

今回の記事を書くにあたり、戸取が歩んだこれまでの道のりを改めて詳しく話してもらいましたが、ジバスクラム恵那発足に話が至るまでになんと2時間を要しました。
全てをお伝えしたいのはやまやまですが、記事のボリュームの都合上経歴をごく簡単に画像データにまとめましたので、そちらでご確認ください。
この膨大かつ濃厚な経験と人脈が、現在のジバスクラム恵那の事業のひとつひとつに流れ込んでいます。

※参考記事
広島カープが日本航空の経営再建のバックアップに関わる内容の記事
(日本航空株式会社広島支店長時代)
インタビュー記事「日本への入り口をもっと身近に」
(日本航空株式会社フランクフルト支店長時代)

さて、日本航空株式会社との人事交流で突如恵那市役所に出向してきた戸取は、当時恵那と言えば恵那山とトンネルしか知らない状態だった(そしていずれも恵那市ではない)そうですが、あれよと言う間に恵那市に新風を吹き込み、ごく短期間で地域商社・ジバスクラム恵那を立ち上げるに至ります。
ジバスクラムを立ち上げるために出向してきたのではなく、たまたまそういうタイミングであったとのこと。20代で商社とは何かを徹底的に学んだ戸取は、巡り巡って商社に戻ってくるという流れに身を置くことになりました。

ジバスクラム発足からこれまでの約1年半の間、あらゆる場面で私たちは戸取のこれまでの経験や人脈が化学反応を起こす瞬間を目の当たりにしてきました。
セントレアで恵那市の展示を行い、利用客にPRできたこと。ジバスクラム恵那の事業パートナーであるアクティブ・ギア高野知司さんと、ユニバーサルトラベルビューロー株式会社大井二三一さんのお力添えによる事業の発展。観光からアウトドアへの視点の転換や、ドローンへの着目、そして株式会社ROBOZの誘致。
その数々のアイディアと実行力、行動力は私たちジバスクラム恵那スタッフの自慢であり、得難い経験を与えてくれる教科書。いつか少しでも近づきたいと思わせてくれるボスです。

そんな戸取がこの1年半恵那を見続けて感じていることとは、「恵那は東京になってはいけない」ということ。
恵那が目指すのは50万人や100万人、1000万人都市の幸せではなく、5万人の街の幸せ。東京の真似をするのではなく、恵那という地域に沿った事業を行うことこそが、恵那の地域商社としての役割であると考えています。
それは例えば、これから本格的に始動する物販誘客サイト「Aeru」に関して、既存の大手観光情報サイトに対抗するのではなく、恵那を愛してくれる限られた方専用のサイトと位置付けていることなどにも生かされています。
人口5万人が作れる「もの」は限られます。だからこそ日本国民全員に宣伝することを目的とするのではなく、恵那の情報を求めるお客様だけが集える場所を用意する。結果、恵那の視点で見る恵那の幸せがそこには生まれるのだと思います。

写真は苦手だと言ってろくにカメラを見てくれない戸取

日本全国、そして海外までもあちこち見てきた戸取にとって、恵那という場所は閉鎖的に感じられたのではないかと質問したら、「気にならない」という返事が返ってきました。広島や名古屋など地域色の強い土地での経験から、合わせようとか新しいことをしようとか意気込むのではなく、自然体でいられればそのうち流れに乗れるという考え方を教えてくれました。
今後に向けての抱負は?と尋ねたら、これもまた「抱負はない。状況に応じて変化して、その都度地域の皆さんのお手伝いを精一杯やる。地域商社だから」と。
自身や周りの人間が起こす流れに乗り、また次の波へと当たり前のように向かっていく戸取の背中が、とても頼もしく思えました。

インタビューで一番印象に残ったのは、どの段階の話においても「勉強させてもらった」という姿勢が崩れないこと。自身が20代の時となんら変わらぬ謙虚な姿勢を私たちに見せながら、これからも我らのボスは商社として恵那の幸せを追求します。

※次回は柄澤一樹が登場します。お楽しみに!