アクティブ・ギア株式会社代表取締役 高野知司さん

アクティブ・ギア株式会社 高野知司さん パートナー紹介

高野 知司(たかの・さとし)さん

1962年、大阪生まれ。
小学生のころソフトボール、中学生でバスケットボール、高校でラグビーに取り組んだスポーツ少年として育ち、1981年神戸大学農学部に入学、育種学を専攻した。体育会アメリカンフットボール部でも活躍し、1985年卒業。同年ニチメン株式会社に入社した。

同社では食料本部に所属し、主に業務用食品の開発と輸出入を担当。同時に生態系を意識した和牛の生産とブランド化を目指し、自ら飼育にも携わる。
アメリカや中国での駐在勤務では対日輸出事業を担当、食肉をはじめあさりやニシン、数の子、エビフライや生野菜など様々な食品・食材の世界規模での物流に関わる。

そののち豊富な経験をもとに、大手飲食チェーン店などに対して、従来の制度に縛られない効率的な調達・物流の仕組みを提案し、その構築に取り組むなかで、
「自分の子どもにも安心して食べさせられる安全な食材」、「本当の食のすばらしさを感じさせる食材」を供給すべきとの使命を得、2010年アクティブ・ギア株式会社を設立。
生産者の思いがこもった安全でおいしい食材を適正な価格で買い取り、小規模でも志がある店舗に提供する仕組みを作っている。

日々の業務を通して「自分たちの幸せ、安全は自分たちで確保する」という思いが強い。子どもが安心して過ごせる世の中を残す、その第一義を見失うことなく産地振興や飲食店サポートに力を注いでいる。

【事業パートナーインタビュー】※2020年7月14日実施

――物流そのものを長く見つめ、安心・安全の食材のプロフェッショナルでいらっしゃる高野知司さん。ジバスクラム恵那の事業パートナーとして、既に様々にご助言をいただいています。
まずはジバスクラム恵那と出会ったきっかけ、関わろうと思ったきっかけをお聞かせください。

高野知司さん(以下高野):3~4年前に、ニチメン時代の同期である戸取君(注:戸取健一郎現ジバスクラム恵那業務執行理事)と再会しました。当時彼は前職に就いていて、その時は自分がやっていることを話したぐらいで終わったのですが、去年彼から改めて連絡をもらいました。
恵那市の行政に関わっていること、恵那の資源をもっと有効に活用して地域振興を図りたいこと、それに関して力を貸してほしいという内容でした。

――元同期である戸取理事のお話は、高野さんにとって魅力のあるものでしたでしょうか?

高野:具体的に話を聞く中で、最初は実はかなりダメ出しをしました(笑)。恵那市役所の方がおっしゃることを片っ端から否定したぐらいでした。地域振興というものの考え方を根底から崩す感じでしたね。
でも恵那の方々がしっかりと私の考えを受け止めてくれて、やっぱり地域商社のようなものを作りたい、と。それならばやりたいと思っていること、志は同じなので、是非手伝わせてほしい、ただ私が恵那に常駐できないから、『拠点と人』を作ってほしい、そうお願いしました。

――高野さんの考える「産地振興」を行うための恵那の拠点、それが「ジバスクラム恵那」の原型ですね。

高野:実は日本各地からこういう相談を受けています。その都度私は同じように「拠点と人を確保してください」とお願いするのですが、それが形になることは稀です。
でも恵那は出来ました。ジバスクラム恵那が立ち上がったのです。これは何か新しいことに挑戦できるかもしれないと思いました。

――ジバスクラム恵那が立ち上がって半年ほどですが、立ち上げ早々まさかのコロナ禍に見舞われる中、少しずつ前に進み始めました。今のジバスクラム恵那に対して、また恵那市に対して考えていらっしゃること、今後一緒にやりたいと思っていることをお聞かせください。

高野:恵那で生まれる食材や商品をいくつか拝見していて、ポテンシャルを感じています。目玉になりうる素材も見えてきました。
ただ、今のままでは難しいかな?とも思っています。

――今のままというのは、食材が、でしょうか?それとも人の考え方?

高野:両方ですね。まず野菜などの農産物は、東京に出荷するにあたってお隣の長野県の農産物を超えられないと流通は難しいです。品目が重複している部分が多く、あちらの方が東京に近い。物流コストの面でどうしても勝てません。それならば「恵那産だから」という譲れない強みや、加工することで唯一無二のものを作る等のひと手間が必要です。

――「恵那産だから」というブランド力というものは一朝一夕に得られるものではありませんね。それならば加工に力を入れるべきですか?

高野:加工をすれば、保存がききます。生鮮物では保存がきかず、流通できる時間に限りがありますが、加工することでその点をカバーできます。顧客層も広がります。
地元の飲食店の協力を仰ぎ、地場産のものを組み合わせるなどの形で、恵那にしかないものを作り上げたい。いきなり完全な形にならなくても、まずは一つずつ「やってみる」ということが必要だと考えています。第一歩を踏み出すのに時間がかかることも多いですが、まずはやってみる。

――新しいことに挑戦するのにはリスクが伴います。やってみたいという気持ちはあっても、いざやるとなると尻込みする人が多いかもしれません。

高野:そうですね、そこに人それぞれの考え方に添っていかなければいけないという難しさはあります。もっと柔軟性を持って動けるといいのかなと思います。課題は色々あると思いますが、どれからなら出来るか?どうやったら出来るか?それをやったらどういう効果があるか?ということに目を向けてほしい。
加工をしよう、どこでやろう。「機械がない」ではなく「どこならあるだろう?」。
例えば給食センターはどうですか?あそこなら様々な設備が整っているはずです。しかも昼過ぎから翌朝まで使われることがほぼない施設、何かできるかもしれません。
給食センターで加工したとなると、あの厳格な衛生管理をパスできる商品という付加価値も得られるでしょう。
そんな風に少しずつ出来ることを探して、色々試して恵那である程度の形を作り上げたい。それを東京に持ち込んで「唯一無二のもの」として勝負したい。

――自分たちの地域の資源が持つポテンシャルを良い方に動かすための思考を、みんなで持たなければいけませんね。

高野:あまり難しく考えなくても大丈夫です。例えば、私の根底にあるものはいつも同じ一言です。「娘の笑顔が見たい」、ただそれだけです。
自分の子どものことを考えるということは、当事者意識そのものです。
このままでいいのか?自分の子どもや孫にこの地域のおいしいものを残してやらなくていいのか?彼らが幸せになるための地元を作ってやるためにはどうすればいい?
その当事者意識を持つことが出来れば、おのずと動く力が生まれてきます。

――恵那のため、地域のためと言っているよりずっと分かりやすいですね。自分の子どものためと思えば、みんなもっと積極的に動けそうです。そして子どものためにやることが、地域のためにやることに繋がる。幅広いエゴですね。高いモチベーションを無理に持とうとすることなく、少し気楽に地域に関われそうな気がします。

高野:それぞれが当事者意識を持ち、地域資源ひとつひとつの価値を高めるために積極的に動く。それがこれからの恵那に必要なことだと思います。そこをクリアできれば恵那にあるたくさんのポテンシャルを大きく伸ばすことが出来ると思います。
それが「恵那産だから」というブランド力構築に繋がります。
事業パートナーとして、今後も様々なアイディアを提供したり、方向性を提示したり、販路を切り拓いたりする形でお手伝いをしていければと考えています。
これからのジバスクラム恵那に期待しています。

――ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!