持続可能な地域づくりを~夢追い人・横光哲

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1か月に一人ずつジバスクラム恵那のスタッフを紹介しています。
5回目の今回は、恵那市の農政分野の開拓者・横光哲の登場です。
恵那市で生まれ育ち、大学卒業後新卒で恵那市役所にUターン就職した彼が、これまで積み重ねてきた地元への想いを振り返ります。

■地域の役に立つ仕事とは
上矢作町出身。教員の父と福祉施設の運営をする母を見て育ちました。
大学で経済学を学び、一度は金融機関への就職を考えたものの、 地元である当時の上矢作町役場で募集があることを知り応募。
両親の姿から、おぼろげながらも「地元のために働きたい、世の中の役に立ちたい」という夢を抱いていた横光にとって、これが「天職」との出会いとなりました。

地域貢献の第一歩。まずはじめは企画課での経験を積むこととなりました。観光やまちづくりのサポートなどに携わり、縁の下の力持ちのような業務の数々を夢中でこなしました。
その後建設課へ、さらには教育委員会へ。スポーツ関連担当となり、施設やイベントに関する業務に奔走しました。
市町村合併を経験したあとは再び企画課へ。大きくなった市をより統括的に見、総合計画を立てたり統計を取ったり。
まさにイメージしていた役所でのお仕事に没頭する毎日でした。

そんな横光の価値観を深掘りしたのは、環境課での経験でした。
ごみやし尿、さらには火葬などについても担当する環境課での業務を知り、市を成立させるためにある「基礎的サービス」について、見識を深めることとなりました。
一年間赴いた岐阜県庁での経験もまた、かけがえのないものとなりました。市町村課で他市町村の方々と机を並べ恵那市を客観的に見る日々は、横光の視野を大きく広げるきっかけとなりました。
恵那市に戻って財政係の仕事を3年担当し、予算編成や決算などの厳しい業務もやり切った横光、いよいよ農政課に異動しました。
30代最後、係長として、中堅職員として。横光は勢いに乗り熱意に溢れていました。

■ぴったりとハマった農政分野の仕事
農政課に入ってはじめに手掛けたことは「地産地消」。
地元で生産されたものを地元で消費する、そのために何が足りないのか現状を探っていくと、地元料理人の方々が地元農家の情報を全く持っていないことに気づきました。農作物の生産者と、地元の旬の食材を使って料理を提供したい飲食店との連携をもっと深めなければならない。そう考えた横光は着任からわずか5か月で「第1回食×農交流会」を開催。80人もの参加者を集め、白熱した議論や農産物のPRが繰り広げられました。

地元生産者が情報交換できるグループの作成も急務でした。
農産物を流通させるために、何が足りていて、何が足りないのか。恵那周辺の若き生産者の方々を集め「恵那 NEWFARMERS (ニューファーマーズ)交流会議 」を結成。意見交換や研修、勉強会などを次々と企画しました。
また、一人でも多くの方に恵那でこんな農産物が作られているんだということを、何よりもこんな生産者がいるんだということを知ってもらうため、マルシェの定期開催も始まりました。「たべとるマルシェ」と名付けられたその場は、お客様の意見を直接聞くことができる絶好の場となりました。

食と農のポータルサイト「たべとる」を立ち上げたのもこのころでした。
※「採って食べる、食べて摂る」の意味を持つ「たべとる」については、以前の記事でまとめましたので是非ご覧ください。
農政という新しいものを生み出す分野。作る喜び、届ける喜びに取りつかれたかのように、横光は奮闘し続けました。

■さらなる飛躍の場へ
2019年4月。農政課で迎える3年目の春に、横光は恵那市の人事交流の一環で東京の一般社団法人日本食農連携機構に居ました。
日本食農連携機構は「良識と調和のある食の実現に向けて、『食と農のバリューネットワークの構築』と『次代に繋がる農業経営の持続的発展』に貢献する」ことを理念とし、食と農を結び付けて新たなビジネスを生み出そうとする、まさに日本の農業のトップランナー集団。
ここで職員として業務に携わり、月の半分を東京で、それ以外は全国各地で新たなプロジェクトを見て、という日々を半年間過ごした横光。多くの刺激を受け、ノウハウや知識・行動力を倍増させて恵那に戻りました。

日本食農連携機構の人事交流受け入れ記事

その頃市役所では、毎年のように起こる豪雨による土砂災害や、豚コレラ(現在の豚熱)の対応に追われていました。災害が起きると、役所一丸となって対応するのは当たり前のことで、その都度農政で推し進めていたプロジェクトは二の次にせざるを得ませんでした。
非常事態下でも日常的に地元農家の生産物を買える場所を作りたい。
ジバスクラム恵那の立ち上げが進められたのは、まさに横光がそんな思いを抱いていた頃でした。
2020年1月、横光はジバスクラム恵那の一員となりました。
役所としての立場から離れ、常に当たり前に地産地消がなされる街をつくるための場所に、まさに立ったのでした。

恵那のお米を東京へ、恵那山麓野菜をえなてらすへ
そしてAeru SHOPでスタッフと

■追い続ける夢
コロナと共にあったこの1年半でしたが、横光はジバスクラム恵那として大きく二つのことを進めてきました。
一つはこの地域の生産者の顧客を、内外問わず見つけること。これまでは地産地消にこだわってきましたが、今は広く県外の方々にも恵那の農産物のことを知っていただき、ファンになっていただくよう発信を続けています。
社会全体でデフレが進むばかりの状況下において、生産者が正しく評価され、生産者側が無理をしない仕組みを作りたい。これは一つの社会構造に対する挑戦かもしれないと横光は言います。
この地域でいかに素晴らしいものが生み出されているかをより多くの方に知ってもらい、価値を高める。結果生産者に必要とされることが、彼にとっての一つ目の重要な仕事です。

二つ目は後継者を作ること。今自分たちがやっていることを引き継いでくれる人を育てること。
地域を持続可能にするためには、後継者の存在は不可欠です。日々の業務に追われながらも、同時並行で次に繋ぐ仕組みを作る。この地域をより長く支えていくために、横光の目は既に次世代を担う若手へと向けられていました。
それはまさに、この先さらに数十年にわたって「地域の役に立つ」ことが彼の使命であるかのように。

「敢えて壮大なことを口にしようと思っている」、そう横光は笑って言い放ちました。

そしてこうとも。主役は自分ではない。地域で輝く人にスポットを当てるのが役割と。
物事を大きくとらえ、さらに大きな夢を語る。
漠然としていた彼の夢は、農政に出会ってはっきりとした輪郭を得、これからの恵那のための強い力を生み出すものとなることでしょう。

※次回は原健太が登場します。お楽しみに!